『初飛び』 大出 しのぶ
はじめに
実際の初飛びは1月13日であり、このレポートは、当時記していた簡単なメモと、記憶を頼りに書いていることを最初にお断りしておきます。
初飛びをすることになった日は、雪が降った数日後で、とても冷え込んでいた。
まさか、その日に初飛びをすることになるとは思っていなくて、後で考えると無謀だなあとは思うが、手にはめていたのはただの軍手だった。一緒にモノラックに乗る先輩の人達に「軍手で飛ぶの?」と驚かれたことを覚えている。
上から飛ぶということが、どういうことなのか実感があまり湧かないまま、モノラックにグライダー一式を載せるまでは、とてもワクワクしていた。しかし、モノラックに乗って上に向かう途中、その急な斜面の角度に驚くと共に恐さを感じた。もしここで転げ落ちたら大変なことになるぞ、とどうしようもないことを想像して、ますます不安になっていく。そして、終点に着いた時、グライダー一式を担ぎ出すことにも恐さを感じた。ヨロめいて足でも踏み外そうものなら落ちてしまう・・・という不安。私はグライダー一式を背中に背負えず、結局ズリズリと引きずるようにして、待合の鉄板の場所まで運んだのだった。
その日、テイクオフの場所は、とても寒かったのだろうと思うが、緊張のためか寒さはそれほど感じなかった。その一方で、眼下に広がる雪の積もった銀色の風景を、神秘的だと冷静に眺めている自分がいた。
一緒に初飛びをすることになった滝ニャンとジャンケンで順番を決め、運良く私は後発となった。
先にテイクオフをした滝ニャンは、小学校のプールを目指して真っ直ぐに飛んでいく。そして何度かターンを繰り返した後、山陰に見えなくなった。私は無線の谷田さんの声を聞きながら、彼女が無事にランディングしたことが分かりホッとしたのだった。
さあ、次は私の番だ。テイクオフをする斜めに傾いた鉄板の上に立つことになるわけだが、ここでも飛ぶ前に足を滑らせて落ちそうな恐怖を感じて、ソロソロとしか歩けない。(7回飛んだ今もこの状況なのだから、とんでもない高所恐怖症だ?!)
準備が整った後、早野さんに「さあ、深呼吸をしましょう」と言われて深呼吸をするも、ちっとも呼吸している感覚はなかった。
そしてテイクオフ。空中に浮かんだ! 一度浮いてしまうと、この感覚に気持ちがワクワクとしてきた。緊張はしていたが、飛ぶ前の不安に比べると空の上はそれほど恐さを感じず、むしろ爽快な気分だった。飛行機の窓枠から眺める景色とは違う、自分ひとりの目の前に広がる銀世界は、初めて見る新鮮な風景だった。
無線の指示をひたすら頼りに、90度ターン、180度ターンを何度か繰り返し、ランディングに備えて高度処理を行なう。高度処理は無我夢中で、地面に足が着くまで、ただただ指示されるままに手を動かしていた。
あっという間のフライトだった。とにかく無事にランディングできたことに一安心した。
初飛びの前に校長の谷田さんがおっしゃっていた一言が心に残っている。
「『Never give up』のスポーツであることを忘れないように。どんな状況になってもあきらめずに最善を尽くすこと。あきらめた時が生死の分かれ目だからね」
今後も肝に銘じて飛びたいと思う。
おまけ
パラグライダーを始めたきっかけは、昨年8月の長野旅行までさかのぼる。滝ニャンと二人で「アウトドアスポーツができる旅行にしよう」と計画を立てた旅行先で、パラグライダーの一日体験になんと二日間も参加してしまった。(ま、予定通りだったのだけど)
その時、運良く風に恵まれて、スキー場のゲレンデで高くまで浮いた感覚は、本当に気持ちが良かった。インストラクターの村田さんに「スクールに入ろう!」と言われ、たまたま教えてもらったスカイパーク宇都宮が、埼玉の実家から電車で一時間ということもあり、10月半ばに二人で入校したのだった。
お互いのスケジュールが合わないために、2回目の練習が一ヶ月、間をおいた11月半ばになってしまった。1回目の時の感覚を忘れてゼロに戻ってしまったことを実感した私達は「慣れるまでは間を置かずに練習しよう」と固い決意をし、行ける時には土日連続でも足繁く通った。「休みの日の連続は体力的にキツイのでは・・・」と文さんに言われつつも、その頃はとにかく気合が入っていたのだ。
途中、冬を迎えるにあたり、寒さにメチャクチャ弱い私は、冬の間の練習休止も考えていた。でもやめずに続けて良かったと思う。1月に初飛びが出来、2月までに7本は上から飛べたのだから。
そして今、実は3ヶ月間のブランク後のフライトを近々控えている。きっと初飛びと同じような緊張感を味わうことになりそうだと、期待と不安で一杯なのであった。
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